飽きる効用とカメのレース

飽きる力 (生活人新書 331)

飽きる力 (生活人新書 331)

飽き性なんです。むかしから。

習い事とか、続いたためしないし(小学校のときのエレクトーンは、最後は行くのがイヤで押入れに隠れてた…。)。
塾とかいったことないし、高校・大学の授業もほとんどつっぷして寝てた記憶しかないし(バランス感覚あるんだかないんだか、よくガタガタッって椅子から落ちそうになってた…。)
コツコツとかガンバリズムとかエイエイオーとか、ハッキリいって、すきじゃないし(だからよく、マジメな先生や優等生さんやモーレツ同僚くんからは「ナメてる」って、目の敵にされてた…。)

けっきょく、決められた時間に、決められたコトをするのが、すんごいニガテ。あかんやん、マイペースなわたし…。

飽き性って、非難されることはあっても、ほめられることって、ないんですよね。あたりまえか。

だから、この本見たときに、なんか弁護してくれるんじゃないかしらとかちょっとだけ期待したりなんかして、(帯のイラストがすんごいもひとつやけど)読んでみました。

飽きるとは「心のゆとり」に近いもの(p.33)
 〜努力のさなかにあって飽きるというような、心のゆとりのようなものに近い。


飽きるとは「選択のための隙間」を開くこと(p.34)
 〜すぐにがんばりの態勢に入ったり、すぐにいつものパターンの作業に入るのではなく、少し距離をとって選択の場所を開く。


飽きるとは「異なる努力のモード」に気づくこと(p.35)
 〜いつも行っているやり方とは異なる努力の仕方をする。

とくに「異なる努力のモード」、これって、モチベーション3.0に通じるものじゃないかしら。
うん、こういうのなら、わたしもしてるかも。(ていうか、こういうんじゃなかったら、努力できないタチっていうか…。)

ここでいう、「ウサギとカメの競争」の解釈、すごくしっくりくるなぁ。

カメは自分のためのレースをしているだけなのです。(p.37)

そう、まわりとの勝ち負けとか、まわりからの評価とか、そういうんじゃなくて。自分が納得できる、目標とプロセスかどうかが、大事。結果は、あとからついてくる。だけのもの。
そのためには、今までのやり方を踏襲することがベストかどうかを、疑ってかかることもときには必要って、思っていいんよね?(っていうか、ことごとくムシしてきたっていうか…。)

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ひとつだけ、すごく気になることが。

「未来志向」「過去志向」「現在志向」のうち、「現在志向」タイプが約1割って、ホンマに?
読んでるとすごくあてはまる気がするし、ストレングス・ファインダーでいう「適応性」(個別化・戦略性・最上志向・適応性・着想 - hirosuga1005の日記)ともかぶる気がする。
けど、そんなに割合少ないモンなのかしら??

でも、「過去志向」の人からみると、「現在志向」の人は「ムラムラと腹が立ってくることもある」っていうんも、すごいナットクしたりもする。あーあーあ。