大局観
羽生善治さんの『大局観』、読んでみた。
- 作者: 羽生善治
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2011/02/10
- メディア: 新書
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わたし自身はほとんど将棋をやったことないんですが、羽生さんという人柄に以前から興味があったので。
いつだったか、羽生さんがチェスの国際大会に出場してるのをドキュメントで追ってるTV番組をたまたま見てたことがあって。
将棋の世界でこれほど実績を残し続けてる人が一から挑戦してるのを見て、将棋に通じるからって、羽生さんにそこまでさせてしまう将棋の存在ってなんなんだろう?って、漠然と思ってて。
「大局観」。
分かってるようで、あらためて意味を問われると、ちょっと自信がない…。
「大局観」…物事の全体的な状況や成り行きに対する見方・判断。
cf.「俯瞰」…高い所から見下ろし眺めること。鳥瞰。 (大辞泉)
体力や手を読む力は、年齢が若い棋士の方が上だが、「大局観」を使うと「いかに読まないか」の心境になる。将棋ではこの「大局観」が年齢を重ねるごとに強くなり進歩する。同時に熟練になり精神面でも強くなると六十歳、七十歳になって、この「大局観」は闘うための柱となる。(P.23)
なるほど、これはビジネスの場面でもいえることかも知れないなぁ。
経験を積めば積むほどに、培われる視点。
特に、なにが正解かわからない局面で、マネジメントにしろ専門の分野にしろ、判断を下さないといけないときに、「大局観」がモノをいう気がする。
いくら組織で動いてるといっても、一人で判断して行動しないといけない局面っていうのは、どんなポジションでもやっぱりあるし。
「俯瞰」とは類似語のような気もするけど、こっちはどちらかというと全体を「面」で捉えてること”そのもの”なんかな。
それに対して、「大局観」は、全体を見つつもポイントがなんなのかを見極める視点=判断がある気がする。
対局に臨んだら、その時その時の局面で、自分ができることを精いっぱいやるだけだ。
その結果がどうであろうと、それは自分ではいかんともしがたいことなのである。
:
突き詰めると「結論なし」となる。人生は突き詰めてはいけないと思う。何のために闘うのかは、七十歳になってからじっくり考えたいと思う。(p.234)
全体をとおして感じたのは、羽生さんが棋士人生を「大局観」で捉えてるということ。
将棋に対する姿勢はすごくストイックなんだけど、視点がとても柔軟で、時代に応じたしなやかさがある。
だからこそ、本のサブタイトルにある「自分と闘って負けない心」をもちつつ、「どうせ見るのなら面白いドラマを見てみたい(P.8)」って言いきれる、清々しい潔さがあるんだろうな。
すごく、読後感のいい本(=羽生さんのお人柄)。
わたしもそんなふうに自分の人生と向き合いたいと、思える本。
でした。
※文面も終始小気味いいテンポで、喩え話や事例も多いしね。