ゆるす
「ゆるす」ということを考えたくて、Amazonで検索してHITした本。(タイトルそのままやん。)
- 作者: ジェラルド・G.ジャンポルスキー,Gerald G. Jampolsky,大内博
- 出版社/メーカー: サンマーク出版
- 発売日: 2000/05
- メディア: 単行本
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帯に、「他人をゆるすことは自分をゆるすこと」って、書いてある。
そうそう。そうなのよね。他人をゆるせないと思ってしまう自分がゆるせなくて、でもそういう心の状態って、自分がしんどいんよね…。
裏表紙の本文紹介に、「ゆるしは一回かぎりでなく、常に進行中で、終わりのないプロセスです。というのも、肉体をもって生きているかぎり、私たちは何度も裁きたくなるものだからです。」って、書いてある。
ちょっと、ホッとした。そんな自分をゆるしてもいいのかって、気持ちがラクになるカンジ。
表紙をめくると、序文の最初に、「この本は、あなたの人生を変えるでしょう。」って、書いてある。そのすぐあとに、「あなたがこの本を手にしているのは、偶然ではないと。」って。
なんか、宗教っぽいなーとか思いつつ、でもそうなのよね、とも思う。
じっさい、わたしはじぶんでキーワード検索して、この本にいまたどりついてる。
それはやっぱり、「いま」わたしが解決したいと思ってるからなのよね。
なんとなく心にひっかかったキーワードだけ、引っぱり出してみる。
● 他人をゆるせないとき
それはいままで目を背けてきた
あなた自身を見ているときかもしれない。(p.28)
● ゆるしとは、後悔をすべて手放すこと。(P.58)
● 犠牲者としてふるまうのをやめれば、簡単にゆるせる。(P.103)
● ゆるしは過去の傷を消す消しゴム。(P.137)
● ゆるせば、人生の重荷がうんと軽くなる。(P.147)
● ゆるしとは、相手のためだけでなく
自分自身のためであり
自分が犯したまちがいのためであり
くすぶりつづけている罪悪感と
自分を恥じる気持ちのためである(p.154-155)
● ゆるすにはどれだけの時間が
必要だろうか?
それはあなたの価値観しだい
:
一秒ですむと信じるなら
一秒ですむ(p.156-157)
わたしが「ゆるせないなぁ」って思うときって、どんなときやろ?
「人として」それはアカンやろ〜〜、って思うときかな。
たとえば、自分または他人に対して悪意をもって陥れようとする(ように見える)のを感じてしまったとき。
でも、そういうときって、いま思うと、その人の心の弱さの裏返しのような気もする。それと、相手への期待や好意の裏返しってことも、あるのかも。あ、もともとは善意(正義?)のすれちがいや食い違い、ボタンの掛け違いがそもそもの始まりってときも、あるよね…。
その人のオモテに出てる言動だけじゃなく、ウラにあるものもぜんぶひっくるめて、立場をかえて考えてみることでみえてくる視点があるんかな。
相手がなんらかの期待をしてくれていた反面、そうじゃない(期待に沿わない)自分の言動に対して、逆にネガな感情をぶつけられるときはなおさら。
(なんせ、じぶんでは素のままのつもりでも、第一印象でヘンに実物以上に思われること、あるしなぁ…。そういうときの期待ギャップって、正直ツライ。)
いままでは、そういうのを正面からひとりでなんとか精いっぱい受け止めようとしてた気がする。
でもそのワンパターンは、そろそろやめよう。自分のためにも、まわりのためにも。
ときには受け流したり、まわりの助けを借りてみたり。
どんな人にも上手く立ちまわれる人なんか、そうそういないしね。わたしだって、日々いろんな感情をかかえてるワケで。
それよりも、自分のニガテなパターンを知って、ココロの対処を考える。
それで、いいんかな。
気軽に、気楽に。
うん。ずいぶんと、気持ちが軽くなった気がする。
明日からもうちょっとだけ、やさしくなれる気がする。