切り取る、思い起こす、重ねる

「写真って、想いを重ねるコミュニケーションツールだ!」

そう書きながらしんみりして、それを伝えながら思わず涙ぐんでしまった。。

ひさびさに参加したFAJ東京の定例会。申し込もうと思ったら全テーマすでに定員オーバーで、追加募集があったときも「もういっか。」と放置してたんを、思いなおして「写真ファシリテーション」の最後の1枠に申し込み。
うん、参加して、よかった。(あとで、「すがちゃんのために残ってたんよ、きっと。」っていわれ、自分でも、そうやわ〜って思う。)


ワークの終盤ちかくに、ファシリテーターのラッキーさんがなにげなくいったひとこと。

「写真を通じて、横に並んでみる。」

ほかの参加者は、気にも止めなかったり、言ったことさえきづかなかったりするくらい、さらっと流れたひとこと。
その瞬間に、撮った写真をTVの大画面でスライドショーにしながらうれしそうに説明する父親の姿が、目に浮かんだ。
ああ、ほんまに。そのとおりやわ。

父親とは、数年前まで会話らしい会話をした記憶がない。
わたしが離婚するんをきっかけに、両親とも姉弟とも、やっと(ていうか、それまでの長い長い空白を埋めるいきおいで)話をし始めたんが、数年前。
そのときに、姉弟とはじめて一緒に、母の日&父の日に旅行とセットでプレゼントしたんが、デジカメ。

「カメラなんかいらん。」とか言ってたのに、さっそく「練習」って言って近所の散歩にもデジカメを持ち歩きはじめてから数年、その習慣はいまも続いてるみたい。

もしかしたら、撮ることが目的なんじゃなくて、撮った写真を見せるんが目的なんかもしれへんなぁ。って、ふと思う。

さいきん、父親も母親も、こんなにおしゃべりやったかしら?って思う。
どっちかっていうと、自分のことは話さない(お互いのことをよく知らない)時期が、うんと長かったから。
それが、父親が写真(キョーミない人が見たら、かわりばえのしない草木や花の写真がてんこもり)を見せてるときは、びっくりするくらい饒舌で、うれしそうなんに、気づいた。いまさら。


写真って、すごい。。

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今回のテーマ、「家、または家の周辺にある『気になったもの』の写真」3枚を持参するって課題。
わたしが用意したのは、コレ⇣。iPhoneに雑多に撮りたまったのんから、あらためて気持ちがうごいた日常の写真。

1)駅に向かう途中に見上げて撮った満開の桜
2)友人に連れて行ってもらったカレー屋さんのカレー
3)友人の赤ちゃんの大泣き

写ってる内容も時期もバラバラやけど、ていねいにワークの質問に答えていくうちに、自分が大切にしているものがひとつのストーリーになって浮かび上がってくる。

わたしの場合、それは「人」もしくは「人とのつながり」なんやってこと。

その瞬間の感情を切り取って残しておきたくて。これって、わたしがブログを書く目的と、ちょっと似てる。
でも、質問されることで、自分でも気づいてなかった感情の動き(=同時に過去の感情を思い起こしてる)に気づかされた。
さらに、その感情を表現するコトバに、とても繊細になってる自分にも。


写真って、すごいなぁ。。


きっと、これからもわたし自身は、カメラそのものを持ち歩くことはないんやろうなって、なんとなく思う。iPhoneで、じゅうぶん。iPhoneの手軽さが、いい。
構図とか光の加減とかよりも、その瞬間を逃さないことのほうが、ダイジやから。それと、その気持ちをだれかと共有することと。